約 6,009 件
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/51.html
【て】 【と】 【て】 手紙 (生死) 【と】 東方へ (自転車から降りない)
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/15.html
【う】 【え】 【お】 【う】 歌 【え】 液体が溢れる(2011/11/1) 【お】 オノマトペ (2011年4月19日)
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/5.html
まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/49.html
【か】 【き】 【く】 【こ】 【か】 がりがりごりごり (オノマトペ) カレナエ族の滅亡() 【き】 キックとスネアのバラード 【く】 供物 (食べる) 黒ひげの樽に短剣を刺すこと 【こ】 炬燵から自由へ (炬燵から出ない)
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/67.html
【4月】 【4月】
https://w.atwiki.jp/tkb_toilet/pages/47.html
概観 便器の数等 階 洋式便器 和式便器 小便器 温便座 ウォシュレット 荷物置き場 1 0 1 2 無 無 無 2 3 4 5 その他備考 項目別評価(5段階) 綺麗さ 2 アクセスのしやすさ 3 混雑度 個室の広さ 2 総合評価(5段階)☆☆
https://w.atwiki.jp/jyukenkun/pages/20.html
多摩地域の誇る名門校(^o^)/ 東京都立立川高校 所在地…立川市錦町 最寄駅…立川駅 どんな高校? 1901年創立の府立二中を前身とする多摩で最も権威ある名門校。旧男子校時代の気風が今も残っていて、「バンカラ」や「質実剛健」と称される校風で有名。同窓会の絆も強く、千葉や長野に寮も所有。伝統の臨海教室ではOBの指導で遠泳が実施される。「立高アドバンス計画」の実施以後、大学合格実績が急伸長しており、独自の65分授業導入や予備校いらずの受験指導実現などで注目を集めている。 立高生の声 ・ 立川高校のいま(外部リンク) ・学芸大学附属高校や海城高校、桐朋高校よりも日比谷高校や西高校を選ぶ理由 都立高校が大人気。学芸大学附属高校や筑波大学附属高校よりも日比谷高校などの都立トップ校を選ぶ人が増えている理由って? ・大学受験を考えるなら学芸大附属高校・筑波大附属高校より都立トップ校を薦める理由 しっかり大学受験の面倒をみてくれる都立トップ校、塾任せの国立大学附属高校 ・学芸大学附属高校?筑波大学附属高校?都立トップ校? 塾では教えてくれない都立トップ校と国立大学附属高校の違い ・海城高校や桐朋高校の東大合格者激減 背景に高入生の不振 海城高校、桐朋高校といった難関国私立高校からの東大合格者はほとんどが中高一貫校出身の生徒であり、高校から入学した生徒は受かっていないという事実
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/32.html
人形療法 田蛙澄 私がファーラスを訪ねた時、彼は地上にはいなかった。 「旦那様は地下室にて実験中でございます」 彼の屋敷で雇われている真面目くさった執事からランプを借り受けると、私は石の階段を下りていった。空気はヒンヤリと冷えているが湿り気はなく、ワインなどを貯蔵するには良さそうな環境だった。階段を下りきった所にある苔が生えた扉を開けると、背を向けて作業をするファーラスの姿があった。彼はこちら振り返りもせずに言葉を投げ掛けてきた。 「人の部屋に無断で入るとはいただけないね。ノック位したらどうだい」 「したさ。君が聞いていなかっただけだろう」 私は白々しく返事をすると、あたりを見回した。用途不明のガラス器具の数々、堆く積み重なった紙魚臭い書物、鉛の塊やら辰砂の粉末、太陽を呑み込む獅子や尾を噛む竜の図版、薬品につけられた蛇や猫の死骸、ラテン語で書かれた汚らしいメモの束、そうしたガラクタが部屋の彼方此方で山となり、机を中心に一続きの山脈を形成していた。 「相変わらずだね。この間の哲学の石作りはどうなったんだい」 「どうやらあれはまだ研究不足だったようだ。今はこれをやっている」 そう言って彼が見せたのは荒々しい削り跡が目立つ古拙な木彫り人形だった。おそらく彼自身が製作したのだろう。 「これからやるのは転患焼偶法という術だよ」 ファーラスは机の引き出しから長方形の紙を取り出すと、そこに迷路のような模様と蚯蚓がのたくったような線を描き、人形に膠を塗って貼り付けた。 「これはシナの呪術師達が使っている呪符でね。これによって僕とこの人形との間に相互作用の通路ができるわけさ。ちょいと君、ランプを貸してくれ。ありがとう」 彼はランプのガラスを外すと、人形の胸の部分に火を当て始めた。瞬く間に部屋の中に焼け焦げた臭いが充満した。 「こうして、四体液の均衡を火によって調整するんだ」 「それで、折角の人形を炭にして何の効果があったんだね?」 私が尋ねると、彼は椅子から立ち上がりざまに両手を広げ、仰々しく振り返って答えた。 「さしあたり胃痛が治ったことで、ポルトガルから取り寄せたポートワインを君と飲み交わすことができる」 「それは重畳」
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/38.html
水底の聴聞 田蛙澄 私は夢を見ているのかもしれない。さっきまでは私はベッドの上で寝ていて、ぼーっと窓辺の月を見ていたのだ。水晶玉のように丸く、澄んだ満月を。そのうち、私の身体がゆっくりとシーツの中へと沈み込んでいった。まるで底なし沼に陥ったみたいに。 最後に頭が残ったが、ミルクに落とされた干し葡萄のように、あっけなくシーツに飲み込まれた。シーツの下は海のように深く、明らかにベッドの幅を超えていたが、格別不思議なことには思われなかった。周りは暗い粘度のある液体に満たされていたが、それは暖かく、不快ではなかった。私は緩やかに下降していった。どのくらい沈んだかは分からないが、気がつくと水底に来ていた。水底には柔らかい山吹色の泥が敷き詰められていた。 泥を撫でると、唐突にその中から白い腕が出てきて私の腕をつかんだ。振りほどこうとしたが、有無を言わさぬ力で、金泥の中に右腕を持っていかれてしまった。すると、急に右手首に冷たいものが触った。それと同時に右腕を拘束していた力が離れた。腕を引き抜いてみると、右手には丈夫そうな鎖のついた枷がついていた。しかも、枷には何故か受話器が付いていた。しばらくすると受話器が鳴った。 「もしもし、神父様でしょうか。どうか私の懺悔をお聞きください」 それは老人の声だった。彼は私に自分が昔とても重い罪を犯したこと。それは既に時効であること。今まで常に罪の露見に怯えて生きて来たこと。自分は死期が迫っていて、罪を後悔し、恐ろしく思っていることなどを話した。ありふれた話のような気がした。しかし、老人の声の切実さに圧倒され、私はただ彼の話に耳を傾け続けた。 「けれどもお爺さん、私は神父じゃない。これは懺悔じゃなくて、ただの間違い電話だよ」 だが老人は臆することなく、やさしい、やんわりと諭すような声で言った。 「そんなことは、分かっていますよ」
https://w.atwiki.jp/shokuri/pages/72.html
移ろう回転 田蛙澄 私は回っていた。私自身が回り、私の周囲の風景が回っていた。つま先から脊椎を経て頭の天辺まで、回転軸が私の肉体を貫いていた。回転の軸は一つではなかった。それは無数にあった。私の四肢に、指の一本一本に、眼球に、舌に、胃袋に、歯に、心臓に、全身の隅々の毛に、細胞の一つ一つに、その内部のミトコンドリアやDNAにまで回転は宿っていた。 回転は私だけのものではなかった。皿の底の豆にも、屋根の上の猫にも、紙の上の文字にさえ回転は住み着いていた。まるでダニか紙魚のように。皆が目を回しながら笑い転げていた。回転は悲観主義や厭世主義を粉々に打ち砕き、磨り潰してしまった。回転は物から物へと遷移していった。ある時岩が砕けると、その回転の一部は蛙に入った。蛙が潰れたとき、回転は牛の耳に潜り込んだ。牛が病で息途絶えたとき、回転は私のところにやって来た。私が死んだらどこへ行くやら。それは回転自身にもあずかり知らぬところだった。 ある時、木に寄りかかりながら『優婆尼沙土』を読んでいると、木の瘤に居候していた回転が話しかけてきた。 「世界において初めに一つの実有があったんだ。彼は『我は繁殖し、多とならん』と欲望しちゃって、まず中心を吐き出した。で、中心は軸をひり出して、軸は回転を捻り出したんだ。つまり僕は実有のひ孫というわけ。でもって有は回転を得たことで分裂、拡散して、それに伴って回転も遍在するようになったのさ、わかったかい?」 「さっぱりだよ」 私はそう答えてやった。回転は馬鹿みたいに笑っていた。 この話に対するUnsinn博士の解釈。 「これは、形而上学的な、遍在する諸力、一者、実在、神、意志、世界霊、と形而下的世界の成立及び展開の関係を表現した素晴らしい寓話だ!」 ある賢明なる読者の評。 「馬鹿馬鹿しい。読むに耐えん。ダダイズム気取りのナンセンスだ。こんなものに貴重な人生の時間を浪費するとは、全く……かあさん、夕食はまだかね!」